ここ数年で、古楽が大きく変わってきている気がする。
古楽がどんどん、クラッシックに食らいついている。もはや、古楽を追究する意味さえ、見失ってきている気がする。
古楽界は、クラッシックに比べ、需要は少ない。しかし、一世代前までは、
知る人ぞ知る。というマニアックな世界として、その未知なる世界を追究しようとして
みんなが興味を示してきた。しかし、今、3,4世代となり、古楽が商業化する中、
”いかに、売れるか”ということに重点を置いたため、結局は、クラッシックとなんら変わりない世界に足を踏み入れているのだ。
ヨーロッパの古楽科の実態といえば、大学では、まずバロックのみ。
数百年のみの短い期間の音楽を狭い範囲でしか知ろうとはしない。
記譜法という時間があり、ルネッサンスや、中世を学びはするが、その実態は、宿題として、
ノートに書き写すだけ。小節線のついたモダン譜に書きなおし、それでわかったふりをする。
そんなことに意味があるだろうか。私は、それがとても腹立たしい。
バロックのオペラといえば、ヘンデルと、モンテベルディ―。
最近では、奇をてらう、演奏者が増え、何か、”新しいことへ”挑戦しようとする。が、
それも、またブレイクしては消えていくのだろう。
お金や、名誉に目がくらむと、その真理を失ってしまう。
私が最も古楽に期待したことは、そんなことではない。
私が求めてきた音楽は、宇宙への調和。神との対話。最も大いなるものと繋がる手段としての
祈り。自然との調和そのもの。それは、流れ出す泉のように自由で何にもとらわれることのない、
あるいは、即興のようにして、一瞬で消えさる永遠の宝。
そんなものを求めても、お金にならない、たわ言のように思われるかもしれない。
でも、神秘を求め続けて、その私の中から、溢れてくる音楽に耳をすませることだ。
魂の音楽をしたい!
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