2012年4月28日土曜日

ドイツのパン屋さん

今日の日記は、ちょっとくいしんぼうの話題。
ドイツのパン屋さんについて。

 去年の12月クリスマスマーケットに出ていたパン屋さん。
手作りっぽい感じがなんともいいです。かまどでパンを焼いていいにおいでした。
まさに、男の料理っていう感じ。おじちゃんのお腹にもふくらし粉?

              
 ↓こちらは、普通の一般的なパン屋さん。
クロワッサンからブドウパン・・・

ごろごろと並べられた、朝食には欠かせないパンたち。
種入りパンは、大人気です。 ヒマワリの種、かぼちゃの種、ゴマなどなど。
香ばしい香り!


サンドイッチやちょっとした甘い御菓子にもそそられます。
どれにしようかな・・・。


ということで、くるみ入りのパイを頼みました。
ほっぺたが落ちそうなくらいおいしかった:)

こちら車での移動式パン屋さん。いかにも健康そうなパンを扱っていました。

 小麦全麦のパン、ライ麦全麦のパン、全麦のパン。

ヴァイツェンブロート (Weizenbrot)、キプフェル (Kipfel, Kipferl)、ブレートヒェンゼメル (Brötchen/Semmel)、ゾンタークスブロート (Sonntagsbrot)、ツォプフ (Zopf, ツォプ)ブレーツェル (Brezel, プレッツェル)、ロゲンブロード (Roggenbrot)、プンパニケル (Pumpernickel)ホルン (Horn, Hörnchen)、シュトレン (Stollen)、ミシュブロート (Mischbrot)、バウアーンブロート (Bauernbrot)乾パン (Hartkeks)、キューヘレ – 小麦粉・塩・バター・酵母を混ぜ平らにし一晩寝かせ低温で揚げシナモン・粉砂糖をかけ完成となるバイエルン料理。
などなど、ドイツにはこんなにもパンの種類があるんです!

パンとケーキの店。チョコレートまで売ってます。しかも、バイオときた!

↓さすが北ドイツ、魚のフライ入りのパンをよく目にします!


2012年4月8日日曜日

変容

 昨日の晩は、イースター前の晩。いたるところでたき火をしていました。
火を囲んでグリューワインを飲みながら語り合うなんでもない時間。

真っ赤な赤いお月さまが燃えるように暗い夜を照らしていました。
その夜は、月明かりで何度も目が覚めてしまいました。
5時半。町の小さなチャペルで始まったイースター礼拝。
静まりかえった音のない、そして光の無い教会。

そこに祈りの音楽とともにひとつのろうそくの光が、順番に灯されます。
創世記1章

初めに、神は天地を創造された。
地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神 の霊が水の面を動いていた。
神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。
神は光を見て、良しとされた。



世の光として、犠牲となったイエスが、再び復活していく様が、
だんだんと明けてくる日の出のイメージと重なり合いました。
礼拝が終わるころ、月は、太陽と変容して、壮大なるエネルギーを発しながら
今から世を照らそうとしているところでした。


その後、Ostseeに出かけました。
水の冷たかったこと!でも、潮のにおい。ひさしぶりでした。




毎晩、練習が終わるとみんなでガンバコンソートを楽しみました。
豊かに流れる時間。火と水と土と日と月と木・・・。金は・・・えっと。


2012年4月7日土曜日

 2日目。今日は聖金曜日
この小さなチャペルの礼拝でシュッツの”十字架のイエスの7つの言葉”を演奏しました。
この教会は、プロテスタントのルター派の教会。
説教がものすごくよかったです。7という文字の修辞学的な意味についてや、
(たとえば1週間は、7日。7という数字は聖書の中では特別な意味を持つこと。
7は、4と3に分けられて、4と3も三位一体や、四元素など意味をもつことなど)
7つのイエスの言葉に対して、1つずつ祈ったり・・・
あと印象的だったのは、ヨハネの箇所をPlattdeustchといって、この地方の言葉で
朗読されたこと。デンマーク語に似ている響きでとても印象的でした。

                        
                        ゲネプロの様子。
ここは、昔、小さな小学校だったところで、合唱団の為に建て替えられたところ。
今は個人の家だが、持家の主人の意思で、ここで多くの人が集えるようにも開放されている。

ここのご主人が、今晩みんなで夕食に誘ってくださって、有意義な時間を過ごしました。
彼はイギリス人で、ロンドンから40Kmほど離れたところで生まれ、大手の石油会社に勤めて
いましたが、30歳くらいの時に仕事を辞め、メキシコやフランスを旅した後、音楽に目覚め、
結局はハンブルグでオルガン作りや、調弦の仕事に携わり、この地に来たそうです。
今回の指揮者のロルフさんとも、長い付き合いで、彼ら合唱団とで、この建物を
もう一度復活させたらしいです。
それまでは、家の中にリンゴの木が伸びていたほど、荒れ放題で手がつけられなかったそうですが、昔のままの姿を残しつつ、再建を成功させました。

彼はイギリス人ですが、この北ドイツにとどまって、今はここが故郷となったそうです。
古き良きイギリスの雰囲気にも似た感じが、きっと彼にとって安心できる場所となったのでしょうか。でも、彼の気持は私にもわかりました。
いろんな地に住んでみて、いろんな人に出会っていく中で、自分の本当の故郷を
見つけていくのでしょう・・・。


2012年4月6日金曜日

シュッツ演奏会

今私はドイツの北、キールのそばにあるLuetjenburgという小さな町に来ています!!


         受難節、今日は、聖木曜日。復活祭までのこの週末は、キリスト教にとって
        大切な意味合いをもつ週なのです。
        合わせて4回にわたる演奏会では、ハインリッヒシュッツのDie Sieben wortを始め、
        たくさんのモテットを演奏することになりました。


            ガンバの仲間と食事。手作りパスタ?おいしかったです。


          プロ―ベの様子。ガンバは合わせて5人。あとは、合唱団とオルガン。


                    町の小さなチャペルでのプロ―ベ風景。


練習している場所の教会の正面から。
手前の木は、なんの花でしょうか。小さい白い桜のような花を一生懸命咲かせていました。
北ドイツの4月は、まだまだ寒いです。

水平線が見えます。ここから5キロほどで、Ostseeに着きます。
空も真っ青で綺麗です。今日は本当にいいお天気でした。


町の中心部。煉瓦作りの赤い家が並ぶ。
デンマークが近いせいか、通りの名前も不思議な名前が多かったです。
子供が遊んでいる風景。
    
明日はどんな一日になるだろう・・・。

2012年4月3日火曜日

マタイ受難曲の演奏会を終えて。

3月31日、4月1日の2回、マタイ受難曲を演奏してきました。
WildeshausenのAlexsander教会
http://www.ev-kirche-wildeshausen.de/
Glocke コンサートホール
http://www.glocke.de/index.php?nav=3&sub1=0&sub2=0&menu_id=22


この教会は、古く1224年から1270年に建設されたオルデンブルグで唯一の古いロマネスク様式の教会で、ヒレパールのオルティスの録音はここでされたらしいです。
音響も素晴らしく、まさに古楽向きな教会でした。

キリスト教では、春分後の最初の満月の頃に毎年、受難を追想し、復活を祝い、
聖週間、受難節と呼ばれる1週間の礼拝は、とりわけ深い禁欲と黙想のうちに進められます。
そして十字架を記念する聖金曜日の足掛け3日後に復活祭(イースター)が来ます。

↑チラシ

コーラスは、ブレーメン合唱団のBremer RathsChorで、指揮者はWolfgang Helbichという方。
合唱団だけで100人、そして2つのグループのオーケストラによる大編成。
バッハは、なんという大きなオルガンをイメージしていたことでしょうか。
オーケストラは半分はバロック、半分モダンという変わったバージョン。
合唱団も、オケも、とてもレベルが高く、本当にいい演奏会でした。


何よりも、指揮者のWolfgangさん、70才の高齢のお爺さん。パワフルな方でした。
コラールの場面では涙を浮かべては、鼻をかんでいました。
みんなバッハを愛していて、信仰深い心のこもった演奏でした。

実はこの曲、私がヴィオラダガンバを始めるきっかけとなった曲でもあります。
プロテスタントの洗礼を受けたのは18歳のころ。
ガンバに出会って始めたのも、ちょうど同じ時期でした。

ルターの翻訳ができたため、多くの人が聖書を読むことができるようになっただけでなく、
バッハは、それに加えて文字が読めない人の為に聖書劇を作曲したわけです。
バッハにとっての音楽とは、常に神を讃える音楽で、また同時に彼自身の肉体と精神を
整え、聴く者の心の喜びとなる音楽であり得たのでした。
その当時、私の心にバッハの音楽は、まるで稲妻のように轟いたのでした。
そして、このヴィオラダガンバによって、調和の音楽を作り上げること溢れんばかりの喜びを
そこに見つけ出したのです。

私はこのマタイを演奏するにあたって、またあの頃の初心の気持ちにもう一度戻ることが
できました。
Wolfgangが作り上げていった音楽の一つ一つの音をたどるうちに、自分が
これまでたどってきた足跡を再確認できました。
私は、この今、この時を歩んでいることの実感でもあります。
そして、すべてには時があり、時が刻まれていくことを知りました。

多くのお客さんたちの喜びを顔、演奏者の顔、それぞれが、みな幸せそうでした。
長い冬が終わり、春が来たことを告げたのでした。