最近思うこと。
消費者は、便利さを理由に、本当のものがわからなくなっている危険性があるということ。
例えば、私たちの食品に関しても、知らないうちに体に悪いものを食べさせられている。
最近観たドキュメンタリーでは、食品の裏に表示されているもの以外にも、
安心できないものが含まれていたり、それが正しく記載されていなかったりする。
ドイツではよく見かけるNatuerliche Aroma (自然的香料)などは、疑ってかかった方がいいらしい。
野菜だけでなく、肉類も、どこでどのように育てられたか、Bioの製品であっても、
汚染された家畜のえさを与えたものは、当然危険性が高まるだろう。
そして、最近読んだ中でも、衣服に関して、ヒートテックの物は体に害を及ぼすらしい。
それだけではない、この空気中でさえも、目に見えない放射能に脅かされ、
海水には、プラスチックが浮かび、目に見えない形で悪影響を及ぼしている。
体だけではない、心も、疲れ果てている。
私たちは、何を信じて、何を食べ、何を着て、どこに住めばよいのだろう。
私たちの将来だけでなく、子供たちの新しい世代は、どうやって生きていくのだろう。
先日、ある本にであった。
若杉友子さんの“一汁一菜”という本。
いわゆる、昔ながらの生き方。理想といえば理想。だけど感動した。
”食養は、自然にかえっていく生活法です。
私たちの一番身近な自然は、からだです。だから昔の人はからだのことを”小宇宙”と呼んだのです。そして、この宇宙の大きなうねりに小宇宙を共鳴させながら生きてきました。
大地の生命をいただく食は、その小宇宙、大宇宙と調和するものでなくてはいけません”
この教訓は、食だけではない。
なぜ、私たちが、”古楽”を”わざわざ弾いてるのかという疑問の答えでもある。
ただ単に、昔の楽器を演奏して、昔の音楽を追求しているわけではない。
昔の人の思想であった、”小宇宙”に、大宇宙を調和させることに意味があるのだ。
そして、”便利さ”ゆえに、失ってしまってはいけない。
時間をかけて、何かをすること。
こころを込めて、向き合うこと。
私たちは、そろそろ自然にかえっていかなければならない。
時の流れに、自分を見失ってはいけない。
本当に良いものを見極めないといけない。
とはいえ、この選択肢の多い世の中、何が本物かを見極めるのは難しい。
プラスチックを減らしたくても、スーパーで買い物をすれば、ごみがでる。
でも、少しでも歩めたら。それは大きな進歩だと思う。
2019年10月25日金曜日
2016年2月25日木曜日
母となって
11月6日、娘の絆愛(はんな)が、私たちの家族の一員として加わった。
妊娠も出産も、自分の中で思っていた以上に大事件だった。
一つの命が、自分のお腹で、うごめいている時は、なんとも言えない感動を覚え、
これから産まれてくる子が、とてつもなく愛おしく感じた。
そして、出産した後、初めて外に出た時、
世界がすべて違って見えた。
空気も、木も、空も、人も、建物も。
自分の中の大事件が終わって、
まだ、この世が続いていて、自分が生きていることが不思議だった。
自分が産まれ変わったような気持ちだった。
そして、今 絆愛は、3か月。もうすぐ4カ月になる。
毎日、寝て起きるたびに、大きくなっていって、驚かされる。
初めはどうして、泣いてるのかわからなかったりして、大変だったけれど。
今でも、大変なことは多いけれど、夫婦二人でなんとか助けあっている。
母親になることは、こんなに大変なんだ、と初めて分かった。
でも、子供の成長を見るのが、こんなに嬉しいことも初めて知った。
主人は、二人で乗り越えるのが大変な時はいつも、
「絆愛は、僕たちの先生。忍耐を学ばされているんだよ。」
と、話した。
初めて演奏会の為の練習に、絆愛を、親戚に預けた時、
心が張り裂けそうな気持ちで、不安だった。
絆愛が、泣いているんじゃないかと、私も泣きそうになった。
娘の顔を見た時、私は動揺を隠せず、抱きしめて
二度と離れたくないと思った。
もう音楽もやめてしまいたく何度もなった。
でも、娘は、私個人だけのものではない。
彼女の人生があって、成長していくものなのだ。
小さい頃、私の母も、音楽家で働きに出ていた。
その時は、孤独で寂しい思いをしたけれど、
今、自分が同じことになって、少しずつわかってきた。
私は、母が今でも音楽を続けていて、
生き生きと若々しく、輝かしくいてくれることに感謝している。
でも、絆愛が、私を母として愛し求めるときには
心から愛して、その思いを受け止めてあげられるようになりたい。
妊娠も出産も、自分の中で思っていた以上に大事件だった。
一つの命が、自分のお腹で、うごめいている時は、なんとも言えない感動を覚え、
これから産まれてくる子が、とてつもなく愛おしく感じた。
そして、出産した後、初めて外に出た時、
世界がすべて違って見えた。
空気も、木も、空も、人も、建物も。
自分の中の大事件が終わって、
まだ、この世が続いていて、自分が生きていることが不思議だった。
自分が産まれ変わったような気持ちだった。
そして、今 絆愛は、3か月。もうすぐ4カ月になる。
毎日、寝て起きるたびに、大きくなっていって、驚かされる。
初めはどうして、泣いてるのかわからなかったりして、大変だったけれど。
今でも、大変なことは多いけれど、夫婦二人でなんとか助けあっている。
母親になることは、こんなに大変なんだ、と初めて分かった。
でも、子供の成長を見るのが、こんなに嬉しいことも初めて知った。
主人は、二人で乗り越えるのが大変な時はいつも、
「絆愛は、僕たちの先生。忍耐を学ばされているんだよ。」
と、話した。
初めて演奏会の為の練習に、絆愛を、親戚に預けた時、
心が張り裂けそうな気持ちで、不安だった。
絆愛が、泣いているんじゃないかと、私も泣きそうになった。
娘の顔を見た時、私は動揺を隠せず、抱きしめて
二度と離れたくないと思った。
もう音楽もやめてしまいたく何度もなった。
でも、娘は、私個人だけのものではない。
彼女の人生があって、成長していくものなのだ。
小さい頃、私の母も、音楽家で働きに出ていた。
その時は、孤独で寂しい思いをしたけれど、
今、自分が同じことになって、少しずつわかってきた。
私は、母が今でも音楽を続けていて、
生き生きと若々しく、輝かしくいてくれることに感謝している。
でも、絆愛が、私を母として愛し求めるときには
心から愛して、その思いを受け止めてあげられるようになりたい。
2014年10月6日月曜日
ルネッサンスポリフォニー音楽における即興
久しぶりに、ワイマールで学生と共に即興の講習会に参加した。
今回のテーマはカントゥス・フィルムスに対して、3声、4声を付け加えるか、
といった即興の学び会。
ワイマールの南に位置する、Ehrings村の小さなFriedhofチャペルが、この週末、私たちの小島となって、この世界に静かに沈めていくこととなった。
その日は、10時からだったので、ハレを朝早く出て、電車の中での朝食をした。
10月の初めの週はいつも、良い天気で、朝早くは霧が立ち込めていた。
そこへ大きな満月のような太陽が霧の向こうに顔を出した。
講習会は全部で9-10人ほど、みんな音楽学の学生やリコーダーのクラスの生徒が
多かった。モダンのトロンボーンの生徒もいた。
さて、最初に私たちが取り組んだのは、世俗音楽のテノールをC.F.(カントゥス・フィルムス以下省略)とし、そこに、ソプラノ、バスをどう組み立てていくか。
まずは、ソプラノ。C.Fに対して、6度上、(もちろん8度からから始めて、6度が続き、8度で終わる)
そして、バスは、8度から始めて、3度5度、(または5度3度)の繰り返しで即興していく。
また、Altの組み立て方は、バスが3度の時はC.Fに対して3度、バスが5度の時は、
C.Fに対して、4度を取る。
実際Generalbassとして組み立てる時は、バスをベースに考えるだが、この場合、
C.Fから考えなければならないので、少しややこしい。
それから、C.F.に対して、ソプラノの声部は10度のパラレル(3度のオクターブ上)とし、
テノールを即興するといった形もある。その場合、テノールは8、5、3、6度すべての
協和音を使用できる。しかし、その時、C.F.とソプラノの動きに対して、反対の方向に
しなければならない。これは、本当に面白かった。
もちろん、この場合、ソプラノの声部は、10度の動きだけではなく、装飾を入れてもよい。
また、C.F.に対して、2声のオクターブにおけるカノンにも挑戦した。
これもまた、C.Fの動きと反対に音階で降りたり上がったりするのだが、
これは慣れるまで難しかった。例えばC.F.がGからAに上がる場合、
Gの和音とAの和音の共通の音は、Eにあたるので、それを経過する音階で
下向する形をとる。
C.Fは、この日、アッシジのフランシスコの生誕何周年を迎えたので、グレゴリオ聖歌からの
抜粋を取った。
一番楽しかったのは、Faux-bourdonの作り方。
これは、C.Fに対して4度6度のパラレルを作るのだが、
頭で考えるより、歌うととても楽しい。
また、これを頭脳だけで解釈するのではなく、教会で歌い、その空間の音響を
活かして、どのように歌うかという、声の説明も受けた。
鼻に響かせ、いかに、倍音を響かせるか。
教会の反響に対して、どのように多声部でハーモニーを作るかというのも、
一番大切なことだ。
即興の分野は、まだ計り知れない可能性を秘めている。
16世紀のディミヌーションはみんな知っているけれど、ルネッサンスの時代までは
さかのぼっていない。しかし、音楽のルーツはそこにある。
それは、各声部個人を重んじるのではなく、その他の声部に預け、
大きな空間の中で、その小さなマクロ的宇宙を作り上げる。
それは、ハーモニーであり、その調和に中にこそ、神のみぞ知るであろう、
素晴らしい世界を私たちが、その瞬間、顧みることができるのだから。
いつか、私たちは、テオリーの世界とプラクティス(実践)の境目が
無くなる時、きっと何かを見つけることができるのかもしれないと思った。
今回のテーマはカントゥス・フィルムスに対して、3声、4声を付け加えるか、
といった即興の学び会。
ワイマールの南に位置する、Ehrings村の小さなFriedhofチャペルが、この週末、私たちの小島となって、この世界に静かに沈めていくこととなった。
その日は、10時からだったので、ハレを朝早く出て、電車の中での朝食をした。
10月の初めの週はいつも、良い天気で、朝早くは霧が立ち込めていた。
そこへ大きな満月のような太陽が霧の向こうに顔を出した。
講習会は全部で9-10人ほど、みんな音楽学の学生やリコーダーのクラスの生徒が
多かった。モダンのトロンボーンの生徒もいた。
さて、最初に私たちが取り組んだのは、世俗音楽のテノールをC.F.(カントゥス・フィルムス以下省略)とし、そこに、ソプラノ、バスをどう組み立てていくか。
まずは、ソプラノ。C.Fに対して、6度上、(もちろん8度からから始めて、6度が続き、8度で終わる)
そして、バスは、8度から始めて、3度5度、(または5度3度)の繰り返しで即興していく。
また、Altの組み立て方は、バスが3度の時はC.Fに対して3度、バスが5度の時は、
C.Fに対して、4度を取る。
実際Generalbassとして組み立てる時は、バスをベースに考えるだが、この場合、
C.Fから考えなければならないので、少しややこしい。
それから、C.F.に対して、ソプラノの声部は10度のパラレル(3度のオクターブ上)とし、
テノールを即興するといった形もある。その場合、テノールは8、5、3、6度すべての
協和音を使用できる。しかし、その時、C.F.とソプラノの動きに対して、反対の方向に
しなければならない。これは、本当に面白かった。
もちろん、この場合、ソプラノの声部は、10度の動きだけではなく、装飾を入れてもよい。
また、C.F.に対して、2声のオクターブにおけるカノンにも挑戦した。
これもまた、C.Fの動きと反対に音階で降りたり上がったりするのだが、
これは慣れるまで難しかった。例えばC.F.がGからAに上がる場合、
Gの和音とAの和音の共通の音は、Eにあたるので、それを経過する音階で
下向する形をとる。
C.Fは、この日、アッシジのフランシスコの生誕何周年を迎えたので、グレゴリオ聖歌からの
抜粋を取った。
一番楽しかったのは、Faux-bourdonの作り方。
これは、C.Fに対して4度6度のパラレルを作るのだが、
頭で考えるより、歌うととても楽しい。
また、これを頭脳だけで解釈するのではなく、教会で歌い、その空間の音響を
活かして、どのように歌うかという、声の説明も受けた。
鼻に響かせ、いかに、倍音を響かせるか。
教会の反響に対して、どのように多声部でハーモニーを作るかというのも、
一番大切なことだ。
即興の分野は、まだ計り知れない可能性を秘めている。
16世紀のディミヌーションはみんな知っているけれど、ルネッサンスの時代までは
さかのぼっていない。しかし、音楽のルーツはそこにある。
それは、各声部個人を重んじるのではなく、その他の声部に預け、
大きな空間の中で、その小さなマクロ的宇宙を作り上げる。
それは、ハーモニーであり、その調和に中にこそ、神のみぞ知るであろう、
素晴らしい世界を私たちが、その瞬間、顧みることができるのだから。
いつか、私たちは、テオリーの世界とプラクティス(実践)の境目が
無くなる時、きっと何かを見つけることができるのかもしれないと思った。
2014年7月16日水曜日
CD録音!
私にとっては、初めての本格的なソロ活動の第一歩のCDで、
これまでに築いてきたすべてのものを引き出せるようにしたいと思っている。
録音というのは、まるで鏡のようだ。自分のすべて醜いところも見えてきて、
こんなはずでは・・・という焦りもあった。
課題もたくさんあって、トンネルを抜けられるか不安だった。
初めて自分をさらけ出して、音楽と向き合い、もっと正直に自分の弱さを見つめる。
今、私は初めてスタート地点に立てたんだと思う。
大学を卒業したり、コンクールとかいって頑張ってきたけれど、
それだけで安心してしまって、何かと”プロ意識”なんていうものを持ったりしても、
中身がないと意味がないのだ。
それから、体力勝負。忍耐も必要。
音楽の泉が、自然に湧いてくるまで委ねなければいけない。
戦ってはいけない。焦ってもダメだ。
自分の限界に達してから、いつも、そこから始まるから。
人と比較してはいけない。
なぜなら、その人が持つ賜物と、自分の賜物は、
与えられ、それぞれに、働き方がちがうから。
そして、自分を卑下するのも、よくない。
いつもプラス思考で、ポジティブに自分を持っていけるようにすること。
私は、これで一番長い間つまずいていた。
必ず、道は開けると信じなければならない。
今回の録音は、まだまだ氷山の一角。
これから9月にもまた、この続きがある。
何を録音しているかは、まだ未公開。お楽しみに。
2014年6月17日火曜日
ジョルディ・サバール、うちに来る
なんという、幸運!サバールは、私の2mm前にいらっしゃる!
先週の週末、ヘンデルフェスティバルの為、ハレにいらっしゃっていたついでに、
ホーム?講習会を、という話しになったのは、ワイマールのガンバの教授、Imke David先生の
提案だった。
金曜の昼ごろからのサバールのプロ―ベを聴講した。
プログラムは、シャイト、シャルパンティエ、ローゼンミュラー、そしてヘンデルという
色彩豊かで、豪華なプログラム。彼の指揮するエスぺリオンXXIには、
かつて学んだ私の師匠、ロレンツの姿もあった。
サバールの横にならんだ師匠をみて、サバールにも劣らない演奏力に、さすがだ。と思わされた。
10年前にサバールの講習会を受けた時より、彼はさすがに年をとった。
というより、目に力が無くなった?気がした。(お疲れ何だろうなぁ。)
彼の奥さま、モンセラートが亡くなったのは2011年。やっぱり寂しいんだろうなぁ。
サバール先生は、そして土曜日に本当に、家にやってきた。
夢をみているんだろうか・・・!
10時半から13時くらいまで、5人の生徒を(一人30分間ずつ)無償でレッスンしてくださった。
私以外は、Imke先生のお弟子さん。彼は、デュマシーを演奏。
サバール先生曰く、中指のことを”魂の指”と呼ぶ。
その魂の指の重要性をお話しされた。
それは、ヴァイオリン属には無い指。最もデリケートで、繊細な動きを弦に伝えることが
できる。マレでいう、アンフレー ”e”である。
先週の週末、ヘンデルフェスティバルの為、ハレにいらっしゃっていたついでに、
ホーム?講習会を、という話しになったのは、ワイマールのガンバの教授、Imke David先生の
提案だった。
金曜の昼ごろからのサバールのプロ―ベを聴講した。
プログラムは、シャイト、シャルパンティエ、ローゼンミュラー、そしてヘンデルという
色彩豊かで、豪華なプログラム。彼の指揮するエスぺリオンXXIには、
かつて学んだ私の師匠、ロレンツの姿もあった。
サバールの横にならんだ師匠をみて、サバールにも劣らない演奏力に、さすがだ。と思わされた。
10年前にサバールの講習会を受けた時より、彼はさすがに年をとった。
というより、目に力が無くなった?気がした。(お疲れ何だろうなぁ。)
彼の奥さま、モンセラートが亡くなったのは2011年。やっぱり寂しいんだろうなぁ。
サバール先生は、そして土曜日に本当に、家にやってきた。
夢をみているんだろうか・・・!
10時半から13時くらいまで、5人の生徒を(一人30分間ずつ)無償でレッスンしてくださった。
サバール先生曰く、中指のことを”魂の指”と呼ぶ。
その魂の指の重要性をお話しされた。
それは、ヴァイオリン属には無い指。最もデリケートで、繊細な動きを弦に伝えることが
できる。マレでいう、アンフレー ”e”である。
シンプソンのデュエット。オスティナートバスを、和音で弾くことを勧める。
ここでは、右手の手首をいかに楽で自由に動かすかについて話された。
右手の手首を楽にすれば、一日中だって小刻みに動かして弾いていられる。と語りながら
約2分?ほどずっと弾き続けるサバール師。
誰か止めて~!
また、ある生徒は緊張してうまく弾けない人がいて、
それを見抜いたサバール先生曰く、
”あるとき、森を歩いていたら、猛獣に出くわした。
恐れのあまりどうしようか考えていたが、
ふと、となりに木イチゴがなっているのをみて、
それを食べ続けることにした。”
一瞬意味不明だけれど、これは、演奏しているときの
私たち自身の話。
猛獣はいつも私たちの心の中にいて、
それを抑えようと必死になる。
でも、音楽という木イチゴをもっと味わいなさい。
ということ。
私自身も、とても本番は緊張する。
あるときは本番の前緊張しすぎて過呼吸になるくらい。
でも、サバールも緊張していたなんて、びっくりした。
私は、マレのラビリンスを演奏した。
サバール先生は、とても褒めてくださって、音楽的だ、とおっしゃった。
でも、もっと駒の近くで弾きなさい、と言われた。
これは、私がガンバを勉強したてのころから言われ続けていたことで、
まだ、進展していないことに、ショックだった。
私は、駒の近くで弾くことを心がけ、椅子や、足台など、
色んな方法でそれを克服しようとした。
でも、結局、駒の近くで弾くという、勇気がない。
自分自身に、いまだに、弱さを持っていることに気づかされた。
ガンバは本当に奥が深い・・・。
でも、忘れられない貴重な体験となりました。
ありがとう。
2014年5月10日土曜日
オルガネット奏者Christophe deslignesさんをお招きして。
風の強い日の午後、即興の達人が家を訪ねた。
Christophe deslignes。
彼は数少ないオルガネット奏者の中でも、Pedro Memelsdorff や、 Kees Boekeなど、有名な中世音楽家たちと演奏をしている。その独特な個性的な即興は、現代曲でも中世の曲でもない、
ジャンルを超えたものだ。
そもそも、なぜ家に来たわけは、来週ある演奏会をドレスデンで行うため、私の旦那は、まだあったこともなかったのだが、連絡をして、ハレに一足先にきてもらうことになった。
黒のシルクハットの下に毛むくじゃらの髭がのぞき、黒い落ち着いた目で流暢なドイツ語を話してくれた。生まれはパリ。だが、母親はドイツ人らしい。
わたしたちは食事を済ませたのち、早速一緒に、トレッチェント音楽を奏でた。RossiのOrquaや、ランディーニを演奏した。圧巻!!
彼のオルガネットは彼の片腕となり、20年になるという。なるほど、よく使い古した道具、彼自身の息吹が音となって現れるようだ、と思った。
鍵盤は、少しすりへって、各鍵盤が個性を持っている感じがした。オルガネットは、オルガンの領域を超えた、吹管楽器との両立を果たした、まさに、”風を操る”道具だと思う。私は、そこに魅力を感じた。
クリストフさんは当時、バーゼルのスコラで勉強をし、ある日オルガネットを楽器室で見つけたころの感動を話してくれた。
「膝に乗せて、楽器を弾いた時、まさにこれだと思った」そうだ。彼は小さいころから自由に即興するのが好きだった。ピアノを勉強し、自分の即興スタイルに合う楽器を見つけるのに苦心していたその矢先だったそうだ。
私も、ガンバに出会ったころの気持ちを、ふと思い出した。
その日の夜、突然の友人からの電話。一緒に自宅で映画をみることに。
週末の長い夜が始まった・・・。
そのおかげで、クリストフさんの色んなお話しを深く聴くことができた。
彼の夢は、彼自身のマニュスクリプトを完成させることらしい。しかも、手書き譜で中世のようだけれど、まったく同じではなく。ジャンルは古代から中世、そして現代音楽だそうだ。
彼は、言語にも興味があるらしい、彼の住む、パリから西側に離れた田舎は、まだケルトが残っているらしい。彼曰く、フランスという国は存在しない。なぜなら、いまだに古い民俗が残り、昔のことばを話しているところが残っているから。とのこと。方言もその一つ。日本でも、祖父母のころにくらべ、方言が失われてきている。それはある意味文化を失う危険なことなのかもしれない。
その2台によるオルガネットの響きは、宇宙の息吹のように空気を揺るがした。
それは、風をおこし、雨をふらす雨ごい師のようでもあった。
彼は、即興は、”その時にならなければ、何を演奏するかわからない”と話した。
その時、インドのヴィーナ奏者の話、“音の神秘”の本の中にでてくる、
「東洋の歌い手は、うたいだすまで何を歌うか自分でもわかりません。
時と場の雰囲気をかんじとって心に浮かびあがってくるものをうたい奏でるのです。」
というのを思いだした。
彼らの即興はそれぞれスタイルのちがうものではあったけれど、
二人ともすごい。と、ただ、ため息をつくばかりだった。
Christophe deslignes。
彼は数少ないオルガネット奏者の中でも、Pedro Memelsdorff や、 Kees Boekeなど、有名な中世音楽家たちと演奏をしている。その独特な個性的な即興は、現代曲でも中世の曲でもない、
ジャンルを超えたものだ。
そもそも、なぜ家に来たわけは、来週ある演奏会をドレスデンで行うため、私の旦那は、まだあったこともなかったのだが、連絡をして、ハレに一足先にきてもらうことになった。
黒のシルクハットの下に毛むくじゃらの髭がのぞき、黒い落ち着いた目で流暢なドイツ語を話してくれた。生まれはパリ。だが、母親はドイツ人らしい。
わたしたちは食事を済ませたのち、早速一緒に、トレッチェント音楽を奏でた。RossiのOrquaや、ランディーニを演奏した。圧巻!!
彼のオルガネットは彼の片腕となり、20年になるという。なるほど、よく使い古した道具、彼自身の息吹が音となって現れるようだ、と思った。
鍵盤は、少しすりへって、各鍵盤が個性を持っている感じがした。オルガネットは、オルガンの領域を超えた、吹管楽器との両立を果たした、まさに、”風を操る”道具だと思う。私は、そこに魅力を感じた。
クリストフさんは当時、バーゼルのスコラで勉強をし、ある日オルガネットを楽器室で見つけたころの感動を話してくれた。
「膝に乗せて、楽器を弾いた時、まさにこれだと思った」そうだ。彼は小さいころから自由に即興するのが好きだった。ピアノを勉強し、自分の即興スタイルに合う楽器を見つけるのに苦心していたその矢先だったそうだ。
私も、ガンバに出会ったころの気持ちを、ふと思い出した。
| 左は旦那の。右はクリストフ。 |
その日の夜、突然の友人からの電話。一緒に自宅で映画をみることに。
週末の長い夜が始まった・・・。
そのおかげで、クリストフさんの色んなお話しを深く聴くことができた。
彼の夢は、彼自身のマニュスクリプトを完成させることらしい。しかも、手書き譜で中世のようだけれど、まったく同じではなく。ジャンルは古代から中世、そして現代音楽だそうだ。
彼は、言語にも興味があるらしい、彼の住む、パリから西側に離れた田舎は、まだケルトが残っているらしい。彼曰く、フランスという国は存在しない。なぜなら、いまだに古い民俗が残り、昔のことばを話しているところが残っているから。とのこと。方言もその一つ。日本でも、祖父母のころにくらべ、方言が失われてきている。それはある意味文化を失う危険なことなのかもしれない。
そしてホームコンサート当日。
ボカッチオの”デカメロン”の朗読とともに、トレッチェント音楽を演奏した。
曲目は、
Or
qua, conpagni Caccia (Codex Rossi)
Per
seguir la sepranca Ballata, (Landini)
Ochi
dolenti miei Ballata (Landini)
L'alma
mia piange Ballata (Landini)
Aquila
altera Madrigal (Codex Jacopo)
Estanpie
Royal (即興)
O
Crudel donna Madrigal (Codex Rossi)
Lucente
stella Ballata (Codex Rossi)
Istampitta
(即興)
Isabella
Istanpitta (Codex Londo)その2台によるオルガネットの響きは、宇宙の息吹のように空気を揺るがした。
それは、風をおこし、雨をふらす雨ごい師のようでもあった。
彼は、即興は、”その時にならなければ、何を演奏するかわからない”と話した。
その時、インドのヴィーナ奏者の話、“音の神秘”の本の中にでてくる、
「東洋の歌い手は、うたいだすまで何を歌うか自分でもわかりません。
時と場の雰囲気をかんじとって心に浮かびあがってくるものをうたい奏でるのです。」
というのを思いだした。
彼らの即興はそれぞれスタイルのちがうものではあったけれど、
二人ともすごい。と、ただ、ため息をつくばかりだった。
最後の写真は、オルガネットルテ♡
実は、5月9日は旦那の誕生日で、少しお祝い。
実は、5月9日は旦那の誕生日で、少しお祝い。
2014年4月28日月曜日
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