論文のテーマにもした、ブクステフーデのゆかりの地、リューベックへ
昨日、ようやく足を運ぶことができた。
ブレーメンから鈍行電車で約3時間。
天気はすぐれなかったが、この時を逃したら、次にいつ行けるかわからなかったので
出発することに。
ブレーメンからハンブルグ行きに乗ると、
一面に広大な畑が広がり、夏の清々しさに我を忘れる。
ハンブルグから乗り換えて、そこから約40分。
とうとう、リューベックに到着。
私を出迎えてくれたのは、Holsten塔。トラベ運河に囲まれた小さな中世の島。
そこは、世界遺産に登録されている。
塔をくぐって、真っ先に向かったのは、当然.Marien 教会。
ブクステフーデがオルガニストとして活躍していた教会だ。
バッハがはるばる徒歩でブクステフーデの演奏を聴きにいったのは
有名な話しで、3か月もそこに留まったと言われている。
それほどまでに、若き頃のバッハ(1705年)、そして巨匠のブクステフーデとの対面は
感動的だったに違いない。その2年後にブクステフーデは他界する・・・。
残念ながら、マリア教会は、第二次世界大戦によってほとんど破壊されてしまった。
なので、当時ブクステフーデのころのオルガンは残っておらず、St.Jakob教会に、
わずかにオリジナルのオルガンが残るのみとなっ てしまった。
そして、マリア教会の天文時計は、1900年代に作られたもので、
15世紀に造られた物は、博物館に置かれていた。
当時のキリスト教の典礼は、ほとんどが太陰暦を基にして作られているため、
天文時計も、月や、星座の動き、そして日食までが記されていた。
1911年から2080年まで観測できる。
旧市街を観光した後、17時と19時に、Dom とSt,Jakob教会で演奏会があると知り、
Domの演奏会は、Hartmut Rohmeyerというリューベックのオルガンの教授をしている
方の演奏。ブクステフーデや、マッテゾン、ヘンデル、そしてバッハのチェンバロとイタリアの
オルガンの演奏だった。
イタリアンのオルガンは、1777年のBaggio di Rosaのオリジナルで、ミーントーンに
調弦されていた。彼に言わせると、フレスコバルディーには最も適した楽器だと
言っていた。
彼は時計職人のようなきめ細やかなで、かつ柔らかいタッチで鍵盤を自由に操っていて、しかも、教会の音響を知り尽くしているように感じだ。
音は、時間と空間との総合芸術で、オルガンは特に様々な効果音による建築のような
技術が必要なのだと思った。
次に19時からSt,Jakobi教会での演奏は、
Jean- Claude Zehnderという、長年バーゼルのスコラカントールムで教えていた
有名なオルガン弾きだった。
彼は、H.Sceidemann, F Tunder, G.Boehm, D.Buxtehude, J.S.Bach
など、ほとんど北ドイツで活躍した曲を演奏した。
Praembulum, Variationen, Canzonettaといった、オルガンの効果を十分に発揮できる曲で
その多様さに、”圧巻”だった。そこには、まさに即興性による自由さによって
それらの音に込められた、言葉が、聴く人の耳に訴えかけてくるのだ。
それは、”賛美”という言葉が、いかにもふさわしかった。
こんなにも、自由に操れる、まるで魔術師のような演奏には、きっと当時も多くの人が感動したことだろう。バッハもその一人なのだろう。
30年戦争という時代を超えて、プロテスタントの中でも、敬虔主義による宗教の見直しが
され、、ルターが手掛け、グーテンベルグの出版法に
よって多くの人に広まったように、音楽家たちは、音楽という手段によって
彼ら独自のオルガンの世界を作り上げていったのだ。
私たちが、現代の目から、その時代を垣間見た時、彼ら巨匠たちが、
神の言葉に耳を傾け、また感動した瞬間を、再び再発見することができる気がする。それは、率直に素直な、歓喜なのだ。
Jean- Claude Zehnder氏↑
Friedrich Stellwagen (1636)
Italian Barock organ, Baggio di Rosa (1777)
Italian Cembalo , Othmar Zumbach 1975
Hartmut Rohmeyer氏