2012年11月13日火曜日

演奏会予定

11月17.18日場所Duisburg 
アンサンブル Schola StralsundensisによるPetitiones cordesの演奏 

11月23日 場所Bremen St.Simon Petruskirche 
~フリードリヒ2世(プロイセン王)の時代~ 
C.F.Abel, J.J.Quantz, C.P.E Bach 他 
http://www.facebook.com/events/247231175404597/ 

12月16日 場所Luetjenburg  
クリスマスオラトリオ; Johann Schelle 

11月30-12月1日 場所weimar 
~Playground 即興演奏フェスティバル~ 
http://www.playgroundfestival.de/index.html 

2013年 
1月18日 中世ルネッサンス音楽祭Sens 
http://www.obsidienne.fr/musique-medievale/accueil.php?change_langue=en 

1月23日 場所Bremen Haus im park 
~現代音楽:ビオラダガンバコンソート~ 
作曲Lee santana 

1月25日 場所Schleswig 16時より 
~15世紀から17世紀の ”愛の歌”~ 
ドイツ歌曲、フランスシャンソン、イタリアマドリガル 
http://www.facebook.com/events/494860653881512/ 

2月22日 場所Den Haag 20時15分より 
Schola Stralsundensis 

3月10日Hildesheim St.Godehardt 17時より 
マルコ受難曲  

2012年11月7日水曜日

ド根性ガエル空を飛ぶ


今回、バッハ・アーベル国際ビオラダガンバコンクールで賞を頂きました。
独渡してかれこれ、10年経ち やっと芽が出たという感じでしょうか。

ドイツに来たばかりの私は、右も左もわからず、戸惑うばかりで
いろんな方に助けて頂きました。教会関係の方はもちろん、特に日本人の方には
本当にお世話になり、何も恩返しができないままで申し訳ない思いです。

特に今回のコンクールで嬉しかったのは、審査員のパオロ・パンドルフォさんに、
”君は前回のコンクールよりも大きく成長した。しかもとても勇気がある演奏だった。
僕は君を誇りに思う。君のことは、一番最初から知ってるから!”
という言葉でした。
私は彼の前で泣きました。彼もうっすら涙を浮かべていました。
パオロとは、ガンバを始めて半年後に海外に飛び込んだ頃から知り合い、
私の成長を見届けてくれました。

3年前、バッハ・アーベルコンクールを受けて、惜しくもファイナル落ちしたとき、
彼の言葉は、誰の審査員の言葉よりも印象的に残ってます。
”君の演奏は、君から出てきていない”

私はこの3年間で、この意味を自分なりに探ってきました。
自分は人の真似であってはならない。自分の演奏とは何か。そして
ガンバ弾きである前に、日本人として、この楽器を弾く意味は何だろうか。と。

そして、一番自分がコンプレックスとしていた、
自分自身に自信を持つこと。
自分にとって今回のコンクールは、まさに自分との戦いでした。

でも、今回学んだのは
いかに自分を出すのではなく、”いかに音楽に委ねるか”という
ことでした。
まるで水の中で泳ぐ魚のように・・・。

このコンクールを終えて、私は新たにスタートを切った気持ちでいます。
ヒレ・パール先生や、ビットリオ・ギエルミ先生との出会いを通して、
これからも、続けて前に進んでいこうと思っています。

これからも応援よろしくお願いいたします!

2012年9月1日土曜日




来週から、オルランド・ディ・ラッソのプロジェクトで、 
アンサンブルSchola Stralsundensisの演奏会をします。 

9月8日(土曜日)  19時半からSt.Nikolai教会にて( Stralsund) 
10月18日(木曜日)12時から St. Martin教会, Kaufbeuren 
10月19日(金曜日)20時から アンティークミュンヘン宮殿にて (muenchen) 
http://www.scholastralsundensis.de/外部リンク 

曲目:”ラッソの聖ペテロの涙”
精緻を極めた21の宗教マドリガーレからなる曲集《聖ペテロの涙 Lagrime di San Pietro 》であり 
ラッソの絶筆。没後に出版された楽譜(1595年)は、ローマ教皇クレメンス8世に献呈された。 

アンサンブル"Schola Stralsundensis" 
Maurice van Lieshoutの指揮による
Stralsundにある図書館からのオリジナル自筆譜“XXIIII Cantiones” (Eucharius Hoffmannによる)を基に、アンサンブルを結成。ガンバ、リコーダー、トラベルソ、オルガネット、声楽、全17名からなり、歴史的なコーラス本(オリジナル譜)を基に演奏活動している。 

2012年8月28日火曜日

今日は、ヒルデガルドのスープを作ってみました! 

断食のためのスープで、いろんなハーブや香辛料が使われています。 

使うもの 
・1カップの小麦穀物 
・ニンジン 
・豆 
・フェンネル 
・セロリ 
・ハーブ 
・塩など香辛料(しょうが, ティミアン、 Bertramカモミールの仲間など) 

作り方 
20から30分ほど煮込んで、その後漉してから、温めてできあがり。 

作っているときも、なんか魔女になった気がします。 
食べるとしょうがで体がぽかぽかしました。 
ぜひお試しあれ 


Die Fastensuppe 
Fastensuppe pro Person und "Mahlzeit" : 1 Tasse Dinkelkörner zusammen mit 
Mohrrüben, Bohnen, Fenchelgemüse, Sellerie (die Gemüse können zusammen 
oder auch einzeln in der Suppe gekocht werden, je nach Saison-Angebot), 
Kräutern und Gewürzen wie Salz, Galgant, Quendel und Bertram ca. 20-30 
Minuten Kochen, abseihen und warm zum Trinken geben. 

2012年8月25日土曜日

 論文のテーマにもした、ブクステフーデのゆかりの地、リューベックへ
昨日、ようやく足を運ぶことができた。

ブレーメンから鈍行電車で約3時間。
天気はすぐれなかったが、この時を逃したら、次にいつ行けるかわからなかったので
出発することに。

ブレーメンからハンブルグ行きに乗ると、
一面に広大な畑が広がり、夏の清々しさに我を忘れる。

ハンブルグから乗り換えて、そこから約40分。
とうとう、リューベックに到着。

私を出迎えてくれたのは、Holsten塔。トラベ運河に囲まれた小さな中世の島。
そこは、世界遺産に登録されている。

塔をくぐって、真っ先に向かったのは、当然.Marien 教会。
ブクステフーデがオルガニストとして活躍していた教会だ。
バッハがはるばる徒歩でブクステフーデの演奏を聴きにいったのは
有名な話しで、3か月もそこに留まったと言われている。
それほどまでに、若き頃のバッハ(1705年)、そして巨匠のブクステフーデとの対面は
感動的だったに違いない。その2年後にブクステフーデは他界する・・・。

残念ながら、マリア教会は、第二次世界大戦によってほとんど破壊されてしまった。
なので、当時ブクステフーデのころのオルガンは残っておらず、St.Jakob教会に、
                             わずかにオリジナルのオルガンが残るのみとなっ                             てしまった。


そして、マリア教会の天文時計は、1900年代に作られたもので、
15世紀に造られた物は、博物館に置かれていた。
当時のキリスト教の典礼は、ほとんどが太陰暦を基にして作られているため、
天文時計も、月や、星座の動き、そして日食までが記されていた。
1911年から2080年まで観測できる。

旧市街を観光した後、17時と19時に、Dom とSt,Jakob教会で演奏会があると知り、

Domの演奏会は、Hartmut Rohmeyerというリューベックのオルガンの教授をしている
方の演奏。ブクステフーデや、マッテゾン、ヘンデル、そしてバッハのチェンバロとイタリアの
オルガンの演奏だった。
イタリアンのオルガンは、1777年のBaggio di Rosaのオリジナルで、ミーントーンに
調弦されていた。彼に言わせると、フレスコバルディーには最も適した楽器だと
言っていた。

彼は時計職人のようなきめ細やかなで、かつ柔らかいタッチで鍵盤を自由に操っていて、しかも、教会の音響を知り尽くしているように感じだ。
音は、時間と空間との総合芸術で、オルガンは特に様々な効果音による建築のような
技術が必要なのだと思った。

次に19時からSt,Jakobi教会での演奏は、
Jean- Claude Zehnderという、長年バーゼルのスコラカントールムで教えていた
有名なオルガン弾きだった。
彼は、H.Sceidemann, F Tunder, G.Boehm, D.Buxtehude, J.S.Bach
など、ほとんど北ドイツで活躍した曲を演奏した。

Praembulum, Variationen, Canzonettaといった、オルガンの効果を十分に発揮できる曲で
その多様さに、”圧巻”だった。そこには、まさに即興性による自由さによって
それらの音に込められた、言葉が、聴く人の耳に訴えかけてくるのだ。
それは、”賛美”という言葉が、いかにもふさわしかった。
こんなにも、自由に操れる、まるで魔術師のような演奏には、きっと当時も多くの人が感動したことだろう。バッハもその一人なのだろう。
                

30年戦争という時代を超えて、プロテスタントの中でも、敬虔主義による宗教の見直しが
され、、ルターが手掛け、グーテンベルグの出版法に
よって多くの人に広まったように、音楽家たちは、音楽という手段によって
彼ら独自のオルガンの世界を作り上げていったのだ。
私たちが、現代の目から、その時代を垣間見た時、彼ら巨匠たちが、
神の言葉に耳を傾け、また感動した瞬間を、再び再発見することができる気がする。それは、率直に素直な、歓喜なのだ。
Jean- Claude Zehnder氏↑

                 Friedrich Stellwagen (1636)


                                             Italian Barock organ, Baggio di Rosa (1777)
                                             Italian Cembalo , Othmar Zumbach 1975
                                             Hartmut Rohmeyer氏



2012年8月24日金曜日

ヒルデガルトの音楽




聖なる精神よ Hildegard von Bingen "Spritus Sanctus"
http://www.youtube.com/watch?v=KFLSOXaYlUE&feature=youtu.be&fb_source=message

私の好きなスピリチャルな本たち


左から、バジル、ローズマリー、ミント、ラベンダー。
ミントの種類ってすごいたくさんあるんですね・・・。
オレンジミントや、アップルミント、お店に5種類ぐらいあって迷ってしまいました。
私の買ったのは、普通のミントです。早速お茶にしてみました。

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聖なる精神よ。

それは、生きており、私たちに、それをお与えくださいました。
それは、心、すべてに宿り、才気溢れる。
それは、すべての創造物の根源である。

そして、聖霊は、
ふさわしくないすべてを洗い流す。
すべての罪を清め、
それぞれの心の痛みを鎮める。

光り輝く生命、それは精神。
人生に謳歌し、
生命を目覚めさせ、
そして、再び、また再び蘇らせる。

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また、再び私の霊的な時間が戻りつつある。
自分を取り戻せつつある。

今日、Aさんという、とっても素敵な女性とお話ししてとてもうれしかった。
話してみてやっぱり、とっても波動の似ている方だと思った。
すべてには、時があるのだろう。
だとしたら、Aさんに会えたのは、何かの新しい扉なのかもしれない。

再び、人間らしく、自然のサイクルに戻ろうとしていた。
このスピリチャルな世界には、ただ、神の愛が存在するのだ。
私たちは、そこへ還るだけ。
いつか、これを日本にも伝えたい。
自分の名誉とかじゃなくて、純粋に、伝道として。
そのことがもし、望まれることなのだとしたら・・・。

2012年8月11日土曜日

今週の水曜に、ドイツのNeuburgでBiagio - Marini コンクールという古楽アンサンブル部門で 
2位を獲得いたしました! 
ブレーメンで新しいメンバーにも恵まれて、また少しずつ頑張れるようになってきたような 
気がします。アンサンブルは、いつも楽しいことばかりではなく、様々なことで言い合いになったり 
実に冒険もありました。 
これからどうなるか、先のことまではわからないけれど、今、できることをやってみようと思っています。 

そして、もうひとついいことが・・・。 
11月に某音大の教授から、CD録音のプロジェクトに一緒に演奏してくれないかという 
オファーが・・・。ビオラダモーレのプロジェクトで、現代曲もバロックもあり。 
新しい世界がまた開けそうです。 

2012年7月23日月曜日

鐘・・・終わりなき響き

たとえば三味線の棹の部分は、天と地をつなぐ架け橋の意味があり、
三味線の3は、天、地、人、を表す象徴性があるように、
ヴィオラダガンバも、この地上において、天界の音楽を奏でるように、
宇宙との調和を天文学や数学の知識によって、楽器として形作られた。
現代では創り上げることが不可能なほどに、超越されたその音階の秘密を
当時の人たちは、いかなる方法によって、その答えを見つけたのだろうか・・・。

天と地をつなぐ架け橋と同じように、この世とあの世をつなぐ架け橋の象徴として、
鐘の音は、様々な宗教を超えて、また時代を越えて親しまれた一つの楽器である。

鐘をテーマにした日本の民謡は例えば、草川信作曲、中村雨紅作詩による、
”ゆうやけこやけ”が上げられる。

ゆうやけこやけで 日が暮れて
山のお寺の 鐘が鳴る
お手々つないで 皆帰ろ
烏と一緒に 帰りましょ

ゆうやけこやけの中で日が暮れて鳴っている鐘は、時刻を告げる暮6つの鐘であった。
本来時間は、あの世の住人の司る自然の動きを人間の世界に読みかえることで
あり、時間自体があの世とこの世とを結びつけるものであった。
本来日が暮れてからの夜という時間帯、世界は人間が活動する時間帯ではなくて、
神々や妖怪などあの世に住むもの達が活動する時間であった。
                         笹本正治著”中世の音、近世の音”より

笹本正治著の”中世の音、近世の音”という本の中で彼が鐘についてテーマにし、
ヨーロッパと日本の音楽について、比較している。

その中で、様々な楽器においての役割を書いている。
例えば、梓弓は、死霊を呼び覚ますための道具として使われ、あの世とこの世とを
結ぶための媒介物であったとされた。
また、笛に関しては、神々を呼ぶことができると信じられていたり、
太鼓は神聖なものとみなされ、また精霊をおどしたり、雨乞いに使われたりしたようだ。

同じように、ヴィオラダガンバの曲の中でも、鐘をテーマにしたものはある。
例えば、マラン・マレの聖ジュヌヴィエーヴ教会の鐘、そして、サント・コロンブのカリオン(鐘)。
彼らもまた、東洋の考えと同じように、鐘の音に、
生と死という象徴性を見いだそうとしたに違いない。
その鐘の音に、沈黙・・・あるいは終わりなきもの、永遠への願いを込めて演奏したに
違いないのだ。







2012年7月6日金曜日


トロッシンゲンの仲間と、数日にわたって、録音をした。
卒業して、たぶん初めてくらい、自分の音楽をしている実感があった。
そして、何より、自分が自由であることに心地よさを覚えた。
どこのものよりも極上のワインを味わったような、”酔い”があった。
そして、今自分が歩むべき道に、少しずつ近づいている。
今の自分が求めているのは、“音”の追究だ。
http://www.youtube.com/watch?v=4HfzqIyJmys&feature=youtu.be

2012年6月16日土曜日

マルティンルターと音楽

宗教学のレポートで、ルターについて調べることになった。
マルティン・ルター、その名も宗教改革ではよく知られている。
けれど、ルターの音楽の才能のことについては、なかなか知られていないのではないか。
彼は、美声の持ち主で、宿屋のお上も、ルターのあまりの歌声の美しさに、無料で泊めたらしい。
それに、彼はリュートも弾けた。今でいう、ギターに弾き語りの、ポップシンガーと言ったところだろうか。それに、大学では、ドクターと名のついたほどの名説教をしたというらしいから、
これはもう、ルターが人気があったのは一目瞭然だろう。
しかも、新しいドイツ語礼拝で中心にしたのは、コーラス。みんなで歌って、信者の心を
わしづかみにしようとした。しかも、当時のいわゆる流行歌や、カトリック教会の礼拝で歌われている、スタンダード聖歌讃美歌の、替え歌をドイツ語で作っている。
そして、何より当時の最新テクノロジーの”印刷”という方法を使ったことによって、
より多くの人が、その歌本を手にすることも可能となった。
ルターの功績は、聖書だけでなく、音楽の力も大いに利用したのだ。
卓上記録による彼の音楽に対する言葉は、熱烈たるものだ。
それゆえ、ルターは、音楽による効果を誰よりも知りつくしていたはずだ・・・。


・ 音楽は最大のもの、真に神の贈り物で、それゆえサタンに嫌われるものである・・・ 
・ 音楽は不安な人には最大な慰めである。その人がたとえほんの少ししか歌えなくても。
・ 音楽は最高の学である。楽譜は歌詞を生き生きとさせる・・・

だからこそ、ルターに画家や、音楽家、詩人たちがついていったのかもしれない。
ルターには補えなかった部分も、他の芸術家たちによって、その感動を伝える
媒介となっている。クラナッハ、ゼンフル、ワルターなど数えきれない作品を
今に残している。そして、のちにバッハ、メンデルスゾーン、ワーグナーやドビュッシー
にいたるまで、ルターが作った歌をもとにして、その魂を受け継いでいる。
その感動とは、その原動力とは、なんだろう。
それまで、明かされることなく、十分に伝えきれなかったこと、ルターが一番心を打たれた、
”神の慰め”そして、本当の意味での”罪の許し”を知ったからだろう。
そこに、神を愛を再確認したことへの感動が、人々を動かしたに違いない。
彼の歌は、今も素朴で、心に残るメロディーを刻んでいる・・・。

2012年6月11日月曜日

プロに向けて歩むアヒル

8月から新しくハンブルグの音楽学校で働けることになりました!

それから、アンサンブルの仲間たちと、先週やっとデモCDを作ることができました。

これから秋にかけて、本格的にCDを作りたいと思っています。

私たちのアンサンブルは、歌、リコーダー、テオルボ、チェンバロ(オルガン)そして、ガンバ。

CDをつくるのっていうのは、結構時間も、お金もかかる・・・。

それに加えて、教会を予約したり、チェンバロを借りたり・・・・本当にたくさん計画しなければ

ならないんだと、思い知らされました。

曲は主に、ドイツとイタリアもので話しが進んでおります。

デモCDはたったの20分だったのにも関わらず、4日間にわたる、集中プロ―ベによって

どっと疲れてしまいました。

何しろ、ブレーメンの音大でプロ―ベしたものの、私以外、部外者だったことで、練習室のことなど、

文句を言われたり、結構冒険がありました・・・。

学校の録音だったので、そんなに満足いくものではないけれど、

何度も撮り直しがあり、結局4時間かかりました。CDの録音は大体3日間、60分・・・。

日程的にも、厳しいものがあります。みなさんどうされているのでしょうか・・・。

でも、今回録音して、自分の足りなさに気づくチャンスでもあり、とっても勉強になりました。

まだまだ、プロの道は、険しくて厳しいけれど、頑張ります!




2012年4月28日土曜日

ドイツのパン屋さん

今日の日記は、ちょっとくいしんぼうの話題。
ドイツのパン屋さんについて。

 去年の12月クリスマスマーケットに出ていたパン屋さん。
手作りっぽい感じがなんともいいです。かまどでパンを焼いていいにおいでした。
まさに、男の料理っていう感じ。おじちゃんのお腹にもふくらし粉?

              
 ↓こちらは、普通の一般的なパン屋さん。
クロワッサンからブドウパン・・・

ごろごろと並べられた、朝食には欠かせないパンたち。
種入りパンは、大人気です。 ヒマワリの種、かぼちゃの種、ゴマなどなど。
香ばしい香り!


サンドイッチやちょっとした甘い御菓子にもそそられます。
どれにしようかな・・・。


ということで、くるみ入りのパイを頼みました。
ほっぺたが落ちそうなくらいおいしかった:)

こちら車での移動式パン屋さん。いかにも健康そうなパンを扱っていました。

 小麦全麦のパン、ライ麦全麦のパン、全麦のパン。

ヴァイツェンブロート (Weizenbrot)、キプフェル (Kipfel, Kipferl)、ブレートヒェンゼメル (Brötchen/Semmel)、ゾンタークスブロート (Sonntagsbrot)、ツォプフ (Zopf, ツォプ)ブレーツェル (Brezel, プレッツェル)、ロゲンブロード (Roggenbrot)、プンパニケル (Pumpernickel)ホルン (Horn, Hörnchen)、シュトレン (Stollen)、ミシュブロート (Mischbrot)、バウアーンブロート (Bauernbrot)乾パン (Hartkeks)、キューヘレ – 小麦粉・塩・バター・酵母を混ぜ平らにし一晩寝かせ低温で揚げシナモン・粉砂糖をかけ完成となるバイエルン料理。
などなど、ドイツにはこんなにもパンの種類があるんです!

パンとケーキの店。チョコレートまで売ってます。しかも、バイオときた!

↓さすが北ドイツ、魚のフライ入りのパンをよく目にします!


2012年4月8日日曜日

変容

 昨日の晩は、イースター前の晩。いたるところでたき火をしていました。
火を囲んでグリューワインを飲みながら語り合うなんでもない時間。

真っ赤な赤いお月さまが燃えるように暗い夜を照らしていました。
その夜は、月明かりで何度も目が覚めてしまいました。
5時半。町の小さなチャペルで始まったイースター礼拝。
静まりかえった音のない、そして光の無い教会。

そこに祈りの音楽とともにひとつのろうそくの光が、順番に灯されます。
創世記1章

初めに、神は天地を創造された。
地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神 の霊が水の面を動いていた。
神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。
神は光を見て、良しとされた。



世の光として、犠牲となったイエスが、再び復活していく様が、
だんだんと明けてくる日の出のイメージと重なり合いました。
礼拝が終わるころ、月は、太陽と変容して、壮大なるエネルギーを発しながら
今から世を照らそうとしているところでした。


その後、Ostseeに出かけました。
水の冷たかったこと!でも、潮のにおい。ひさしぶりでした。




毎晩、練習が終わるとみんなでガンバコンソートを楽しみました。
豊かに流れる時間。火と水と土と日と月と木・・・。金は・・・えっと。


2012年4月7日土曜日

 2日目。今日は聖金曜日
この小さなチャペルの礼拝でシュッツの”十字架のイエスの7つの言葉”を演奏しました。
この教会は、プロテスタントのルター派の教会。
説教がものすごくよかったです。7という文字の修辞学的な意味についてや、
(たとえば1週間は、7日。7という数字は聖書の中では特別な意味を持つこと。
7は、4と3に分けられて、4と3も三位一体や、四元素など意味をもつことなど)
7つのイエスの言葉に対して、1つずつ祈ったり・・・
あと印象的だったのは、ヨハネの箇所をPlattdeustchといって、この地方の言葉で
朗読されたこと。デンマーク語に似ている響きでとても印象的でした。

                        
                        ゲネプロの様子。
ここは、昔、小さな小学校だったところで、合唱団の為に建て替えられたところ。
今は個人の家だが、持家の主人の意思で、ここで多くの人が集えるようにも開放されている。

ここのご主人が、今晩みんなで夕食に誘ってくださって、有意義な時間を過ごしました。
彼はイギリス人で、ロンドンから40Kmほど離れたところで生まれ、大手の石油会社に勤めて
いましたが、30歳くらいの時に仕事を辞め、メキシコやフランスを旅した後、音楽に目覚め、
結局はハンブルグでオルガン作りや、調弦の仕事に携わり、この地に来たそうです。
今回の指揮者のロルフさんとも、長い付き合いで、彼ら合唱団とで、この建物を
もう一度復活させたらしいです。
それまでは、家の中にリンゴの木が伸びていたほど、荒れ放題で手がつけられなかったそうですが、昔のままの姿を残しつつ、再建を成功させました。

彼はイギリス人ですが、この北ドイツにとどまって、今はここが故郷となったそうです。
古き良きイギリスの雰囲気にも似た感じが、きっと彼にとって安心できる場所となったのでしょうか。でも、彼の気持は私にもわかりました。
いろんな地に住んでみて、いろんな人に出会っていく中で、自分の本当の故郷を
見つけていくのでしょう・・・。


2012年4月6日金曜日

シュッツ演奏会

今私はドイツの北、キールのそばにあるLuetjenburgという小さな町に来ています!!


         受難節、今日は、聖木曜日。復活祭までのこの週末は、キリスト教にとって
        大切な意味合いをもつ週なのです。
        合わせて4回にわたる演奏会では、ハインリッヒシュッツのDie Sieben wortを始め、
        たくさんのモテットを演奏することになりました。


            ガンバの仲間と食事。手作りパスタ?おいしかったです。


          プロ―ベの様子。ガンバは合わせて5人。あとは、合唱団とオルガン。


                    町の小さなチャペルでのプロ―ベ風景。


練習している場所の教会の正面から。
手前の木は、なんの花でしょうか。小さい白い桜のような花を一生懸命咲かせていました。
北ドイツの4月は、まだまだ寒いです。

水平線が見えます。ここから5キロほどで、Ostseeに着きます。
空も真っ青で綺麗です。今日は本当にいいお天気でした。


町の中心部。煉瓦作りの赤い家が並ぶ。
デンマークが近いせいか、通りの名前も不思議な名前が多かったです。
子供が遊んでいる風景。
    
明日はどんな一日になるだろう・・・。

2012年4月3日火曜日

マタイ受難曲の演奏会を終えて。

3月31日、4月1日の2回、マタイ受難曲を演奏してきました。
WildeshausenのAlexsander教会
http://www.ev-kirche-wildeshausen.de/
Glocke コンサートホール
http://www.glocke.de/index.php?nav=3&sub1=0&sub2=0&menu_id=22


この教会は、古く1224年から1270年に建設されたオルデンブルグで唯一の古いロマネスク様式の教会で、ヒレパールのオルティスの録音はここでされたらしいです。
音響も素晴らしく、まさに古楽向きな教会でした。

キリスト教では、春分後の最初の満月の頃に毎年、受難を追想し、復活を祝い、
聖週間、受難節と呼ばれる1週間の礼拝は、とりわけ深い禁欲と黙想のうちに進められます。
そして十字架を記念する聖金曜日の足掛け3日後に復活祭(イースター)が来ます。

↑チラシ

コーラスは、ブレーメン合唱団のBremer RathsChorで、指揮者はWolfgang Helbichという方。
合唱団だけで100人、そして2つのグループのオーケストラによる大編成。
バッハは、なんという大きなオルガンをイメージしていたことでしょうか。
オーケストラは半分はバロック、半分モダンという変わったバージョン。
合唱団も、オケも、とてもレベルが高く、本当にいい演奏会でした。


何よりも、指揮者のWolfgangさん、70才の高齢のお爺さん。パワフルな方でした。
コラールの場面では涙を浮かべては、鼻をかんでいました。
みんなバッハを愛していて、信仰深い心のこもった演奏でした。

実はこの曲、私がヴィオラダガンバを始めるきっかけとなった曲でもあります。
プロテスタントの洗礼を受けたのは18歳のころ。
ガンバに出会って始めたのも、ちょうど同じ時期でした。

ルターの翻訳ができたため、多くの人が聖書を読むことができるようになっただけでなく、
バッハは、それに加えて文字が読めない人の為に聖書劇を作曲したわけです。
バッハにとっての音楽とは、常に神を讃える音楽で、また同時に彼自身の肉体と精神を
整え、聴く者の心の喜びとなる音楽であり得たのでした。
その当時、私の心にバッハの音楽は、まるで稲妻のように轟いたのでした。
そして、このヴィオラダガンバによって、調和の音楽を作り上げること溢れんばかりの喜びを
そこに見つけ出したのです。

私はこのマタイを演奏するにあたって、またあの頃の初心の気持ちにもう一度戻ることが
できました。
Wolfgangが作り上げていった音楽の一つ一つの音をたどるうちに、自分が
これまでたどってきた足跡を再確認できました。
私は、この今、この時を歩んでいることの実感でもあります。
そして、すべてには時があり、時が刻まれていくことを知りました。

多くのお客さんたちの喜びを顔、演奏者の顔、それぞれが、みな幸せそうでした。
長い冬が終わり、春が来たことを告げたのでした。


2012年3月28日水曜日

徒然なるままに・・・

今日からブログを始めます。
ビオラダガンバ、魂の旅。ここからが出発点です。
たとえ、あひるの歩みでも、いつかどこかにたどり着くはず。