2012年7月23日月曜日

鐘・・・終わりなき響き

たとえば三味線の棹の部分は、天と地をつなぐ架け橋の意味があり、
三味線の3は、天、地、人、を表す象徴性があるように、
ヴィオラダガンバも、この地上において、天界の音楽を奏でるように、
宇宙との調和を天文学や数学の知識によって、楽器として形作られた。
現代では創り上げることが不可能なほどに、超越されたその音階の秘密を
当時の人たちは、いかなる方法によって、その答えを見つけたのだろうか・・・。

天と地をつなぐ架け橋と同じように、この世とあの世をつなぐ架け橋の象徴として、
鐘の音は、様々な宗教を超えて、また時代を越えて親しまれた一つの楽器である。

鐘をテーマにした日本の民謡は例えば、草川信作曲、中村雨紅作詩による、
”ゆうやけこやけ”が上げられる。

ゆうやけこやけで 日が暮れて
山のお寺の 鐘が鳴る
お手々つないで 皆帰ろ
烏と一緒に 帰りましょ

ゆうやけこやけの中で日が暮れて鳴っている鐘は、時刻を告げる暮6つの鐘であった。
本来時間は、あの世の住人の司る自然の動きを人間の世界に読みかえることで
あり、時間自体があの世とこの世とを結びつけるものであった。
本来日が暮れてからの夜という時間帯、世界は人間が活動する時間帯ではなくて、
神々や妖怪などあの世に住むもの達が活動する時間であった。
                         笹本正治著”中世の音、近世の音”より

笹本正治著の”中世の音、近世の音”という本の中で彼が鐘についてテーマにし、
ヨーロッパと日本の音楽について、比較している。

その中で、様々な楽器においての役割を書いている。
例えば、梓弓は、死霊を呼び覚ますための道具として使われ、あの世とこの世とを
結ぶための媒介物であったとされた。
また、笛に関しては、神々を呼ぶことができると信じられていたり、
太鼓は神聖なものとみなされ、また精霊をおどしたり、雨乞いに使われたりしたようだ。

同じように、ヴィオラダガンバの曲の中でも、鐘をテーマにしたものはある。
例えば、マラン・マレの聖ジュヌヴィエーヴ教会の鐘、そして、サント・コロンブのカリオン(鐘)。
彼らもまた、東洋の考えと同じように、鐘の音に、
生と死という象徴性を見いだそうとしたに違いない。
その鐘の音に、沈黙・・・あるいは終わりなきもの、永遠への願いを込めて演奏したに
違いないのだ。







2012年7月6日金曜日


トロッシンゲンの仲間と、数日にわたって、録音をした。
卒業して、たぶん初めてくらい、自分の音楽をしている実感があった。
そして、何より、自分が自由であることに心地よさを覚えた。
どこのものよりも極上のワインを味わったような、”酔い”があった。
そして、今自分が歩むべき道に、少しずつ近づいている。
今の自分が求めているのは、“音”の追究だ。
http://www.youtube.com/watch?v=4HfzqIyJmys&feature=youtu.be