2013年11月17日日曜日

魂の音楽

ここ数年で、古楽が大きく変わってきている気がする。
古楽がどんどん、クラッシックに食らいついている。もはや、古楽を追究する意味さえ、見失ってきている気がする。
古楽界は、クラッシックに比べ、需要は少ない。しかし、一世代前までは、
知る人ぞ知る。というマニアックな世界として、その未知なる世界を追究しようとして
みんなが興味を示してきた。しかし、今、3,4世代となり、古楽が商業化する中、
”いかに、売れるか”ということに重点を置いたため、結局は、クラッシックとなんら変わりない世界に足を踏み入れているのだ。
ヨーロッパの古楽科の実態といえば、大学では、まずバロックのみ。
数百年のみの短い期間の音楽を狭い範囲でしか知ろうとはしない。
記譜法という時間があり、ルネッサンスや、中世を学びはするが、その実態は、宿題として、
ノートに書き写すだけ。小節線のついたモダン譜に書きなおし、それでわかったふりをする。
そんなことに意味があるだろうか。私は、それがとても腹立たしい。
バロックのオペラといえば、ヘンデルと、モンテベルディ―。
最近では、奇をてらう、演奏者が増え、何か、”新しいことへ”挑戦しようとする。が、
それも、またブレイクしては消えていくのだろう。
お金や、名誉に目がくらむと、その真理を失ってしまう。

私が最も古楽に期待したことは、そんなことではない。
私が求めてきた音楽は、宇宙への調和。神との対話。最も大いなるものと繋がる手段としての
祈り。自然との調和そのもの。それは、流れ出す泉のように自由で何にもとらわれることのない、
あるいは、即興のようにして、一瞬で消えさる永遠の宝。
そんなものを求めても、お金にならない、たわ言のように思われるかもしれない。
でも、神秘を求め続けて、その私の中から、溢れてくる音楽に耳をすませることだ。
魂の音楽をしたい!


2013年11月11日月曜日

Playground 即興音楽祭

今年もワイマールでアンサンブルThe Playfordによる即興セッション講習会が
やってきた。
演奏会は、The Playfordはもちろんのこと、Quadriga Consortがやってきた。
私は以前から気になっていた若手アンサンブルで、古楽の中では、
アイリッシュや民族音楽やポップに近い感じが心地よい音楽。
http://www.youtube.com/watch?v=HsDSMuh0xBI&list=PL7771AAB359B08256
私の好きなアンサンブルの一つだ。
彼らの演奏のすごいところは、50パーセントはアレンジしているところ。
少し、映画のサウンドトラックっぽい感じもあるが、一般的に親しみやすいところだろう。
いつも、おいしいところを狙ってる感じがいい。

演奏会の後はジャムセッション。即興演奏をした。
Quadriga Consortとのセッションは、本当に楽しかった。なんか、古楽という枠から
離れて、自由に音楽を楽しめるというのはよい意味ですごく気持ちがいい。
自分が、そんなアンサンブルをしたいかといわれると、複雑な気持ちになるが。

今回私はBernd Niedeckenのバロックダンスで参加。
Berndはトロッシンゲンで学んでいた時にも、教えてくれた先生で、今回改めて、本当にすごい指導者だと思った。
彼の指導で面白かったのは、床に寝て、バロックのポジションを練習したこと。
それによって、自然な形が生まれる。彼のダンスは、本当にすごい。指の先からも光線が伸びている感じで、
後ろを向いても、後ろに目がついていて見られている感じがする。全身に意識が行きわたっていて、
踊るということは音楽家にとっても必要不可欠だと思った。




2013年11月6日水曜日

Johann Walter (1496-1570)

今年もWittenbergの講習会がやってまいりました。
今回は、レベッカ・シュツワートと、マルティン・エアハルトによるヨハン・ヴァルターの講習会に
声楽で参加しました。これまで器楽で参加してきたので、声楽は初めての参加になりました。

レベッカとは、10年来の知り合いで、私の中では、彼女は”歌の神様的な存在”であります。
彼女はもう70歳ですが、誰よりもパワフルに活動している方です。

レベッカは、若い時に、日本やインドで音楽を学んだ後、ヨーロッパで中世・ルネッサンス音楽
を主に、古楽を宇宙的、神秘的な視点から見た音楽家と言っても過言ではないでしょう。
彼女は、現代人の失った言葉を探しに行ったアルケミストなのかもしれません。
私たちは、彼女の声に耳をすませ、またその音楽の調べを蘇らせることを望んでいます。
そこには、もう音楽という形を超え、祈りとなっていくのです。
しかし、その神技を本当に知る者は、少ない。


音とは、Klang(響き)ではなく、その振動にある。

その振動は、自然に湧きあがるまで待つ必要があり、

その音楽は、自然に歌いだすのを感じとる必要があり、

すべての五感によって、その振動を感じ取り、その交わりを楽しむことができる。

それらの振動は、”言霊”によってすべては上へと昇華する。

ルターがWittenberugで活動していた時、ヨハンヴァルターは、教会の音楽カントアーを勤め、
作曲もしていた。ルターにとっても、音楽は宗教にとって不可欠であったように、
ヴァルターの作曲した曲も、ルターの力強い信仰による言葉を受け継いでいて、
音楽よりも、祈りに、または、心の叫びに近いものを感じ取ることができます。
ルターが宗教改革を起こしたこの地で、そして、その教会で、しかも、ルターのお墓の横で
その演奏ができたことを、感動、そして感謝。