2020年4月20日月曜日

Hildegard von Bingenの魔法

昨年の5月から、かつてからの夢であった、Hildegard von Bingenの祈りと歌の会が
毎月満月の晩、19時より行われてきた。
しかし、コロナウイルスの影響で、教会での活動はすべて中止。
せっかく続けてきたことだったのに、これからの見通しも立たないので、
これからどのようにしていったらよいのか、考えてみた。

そして、思いついたのが、録音。
子供が寝静まったころ、大体、夜21時ごろ、ひっそり一人で誰もいない教会を訪れる。
19時までは、教会は解放されていて、祈りのためにろうそくがつけてあり、
中に入ると、暖かいろうそくの炎がひっそりと揺れている。
それをみると、なんだか、ああ、帰ってきたよ。という不思議な安堵感がある。

4月とはいえ、まだ寒い。教会の中はその引き締まった空気が、また心地よい。
学生をしていたころは、何時間も練習に向かっていたけれど、
今となっては子育てで忙しく、練習する暇もない。
やっと下の子も、大きくなって落ち着いてきたというのもある。

そして、音楽と向き合う。
ヒルデガルド フォン ビンゲンは、ドイツの中世の修道女で、
その多くは薬草や、ハーブの自然医療法などで知られている。
が、音楽も彼女自身が作曲されていたのは、あまり知られていないのではないだろうか。

彼女ならではの自由な音楽の思想。グレゴリオ聖歌とは全く違った新しい曲想。
驚くほどエロチックで、ある意味人間くさい表現は、魅力的である。
特に、教会旋法の幅を超えた音域の広さと、その自由な発想には、圧巻である。

そして何より、その女性らしい言葉の表現。当時のRiesen codexからのネウマ譜にも
その表現力の広さが伺える。まず、その信仰の思いの篤さが、生生しく伝わってくるのだ。特に、”おお!”とい感嘆詞で始まる表現や、特に1曲の中でも数回でてくる、
Quillisma(声を震わせる)や、Pressus(同じ音が2回)の表現などが印象的である。
また、特に5度は、とても強い安定した印象を受け、ボルドゥン(保続音)からの不協和音、協和音の巧妙なコントラストは見落とせない。

ヒルデガルドの魅力について書いたらきりがないが、
その第一の魅力としては、”インスピレーション”だと思う。
彼女の曲は、中世にして、とても新しい。今となっても、若い枝となって芽吹いてくるような感覚がある。それほどまでの彼女の内の中のビジョンがしっかりと見えていて、
ボケたものではなかったに違いない。
おなじ女性として、彼女の強い霊的な音楽に、毎回感動させられるのだ。


" O Pastor Animarum" ”おお、魂の牧者よ”
Pastor of our hearts and Voice
primordial:
you spoke before the world was
we sprang to hear.
Now we languish,
we are wretched, ill.
Set us free! We beseech,
make us well.
私の魂の牧者よ。
すべてを創造された主よ。
あなたは私の愛するお方
哀れな私たちを自由にしてください。
私たちの病から解放してください!

Karitas habundat in omnia, 
de imis excellentissima super sidera,
 quia summo Regi osculum pacis dedit. 
 Charity rising from the vast abyss past the stars above abounds in all worlds, unbounded love, and with spousal kiss disarms the sky- king.

2020年4月11日土曜日

危機という時は、チャンスでもある。

時に、思いもよらないことも起こる。
コロナによる、世界危機。
音楽家の仕事は、真っ先にキャンセルされた。
ガンバ弾きにとって、受難曲の演奏会のキャンセルは辛い。
私にとって、ガンバを始めたきっかけとなった、バッハのマタイ受難曲。
受難節に、祈りのような音楽を奏でることは、毎年恒例のことだった。
でも、今年は・・・その一番大事な時間が省かれてしまった。

しかし、この演奏会がキャンセルになったため、
私は主人とハレに住む、もう2人の音楽家たちとともに
Alexander Agricola のLamentation Jeremiaeを歌うこととなった。

もちろん演奏会ではなく、Video撮影という形になったが、
私にとってこれは、受難節にはなくてはならない大切な時間に思えた。

もう一つ、去年の5月からもうすぐ1年続けることとなるはずの、
毎月一度満月の日の夜に集まる、ヒルデガルドの祈りと歌の会も、キャンセル。
4年に一度のスーパームーンのこの夜、歌えないのは残念だったこともあり、
この機会に歌うことができるのは、本当に幸せなことだった。

このLamentation 哀歌は、聖書の哀歌2章からなる。
旧約聖書の神は、容赦しない。壮絶な怒りによってイスラエルの民でさえも
滅ぼされる。そのコントラストは、イエスの受難の痛みとよく似ている。

この受難の時、そして、コロナの影響で、普通ではない環境。
いつもとは違う、なにか死と隣り合わせを予感させる深刻さが、
この曲の神話が、何か実話のように実感させられる。
哀歌の聖書の箇所は、何か救いがないように思えるが、
最後に、「神様、どうして私をお見捨てになったのですか・・・」の節は
まさにキリストの最後の言葉でもあり、そこに救いがあることを実感するのである。
Online-Konzert Karfreitag 2020 Johanneskirche

Alexander Agricola (um1455-1506): Lamentationes Jeremiae Prophetae /
Die Klagelieder Jeremias
Gregorianik: Responsorien zur Karwoche
Miyoko Ito – Cantus
Nora Rutte – Altus
Martin Erhardt – Tenor
Till Malte Mossner – Bassus
録音は、このサイトをクリックしてお聴きください。