2019年10月25日金曜日

便利さを理由に、本当のものがわからなくなっているということ

最近思うこと。
消費者は、便利さを理由に、本当のものがわからなくなっている危険性があるということ。

例えば、私たちの食品に関しても、知らないうちに体に悪いものを食べさせられている。
最近観たドキュメンタリーでは、食品の裏に表示されているもの以外にも、
安心できないものが含まれていたり、それが正しく記載されていなかったりする。
ドイツではよく見かけるNatuerliche Aroma (自然的香料)などは、疑ってかかった方がいいらしい。
野菜だけでなく、肉類も、どこでどのように育てられたか、Bioの製品であっても、
汚染された家畜のえさを与えたものは、当然危険性が高まるだろう。
そして、最近読んだ中でも、衣服に関して、ヒートテックの物は体に害を及ぼすらしい。
それだけではない、この空気中でさえも、目に見えない放射能に脅かされ、
海水には、プラスチックが浮かび、目に見えない形で悪影響を及ぼしている。
体だけではない、心も、疲れ果てている。

私たちは、何を信じて、何を食べ、何を着て、どこに住めばよいのだろう。
私たちの将来だけでなく、子供たちの新しい世代は、どうやって生きていくのだろう。

先日、ある本にであった。
若杉友子さんの“一汁一菜”という本。
いわゆる、昔ながらの生き方。理想といえば理想。だけど感動した。

”食養は、自然にかえっていく生活法です。
私たちの一番身近な自然は、からだです。だから昔の人はからだのことを”小宇宙”と呼んだのです。そして、この宇宙の大きなうねりに小宇宙を共鳴させながら生きてきました。
大地の生命をいただく食は、その小宇宙、大宇宙と調和するものでなくてはいけません”

この教訓は、食だけではない。
なぜ、私たちが、”古楽”を”わざわざ弾いてるのかという疑問の答えでもある。
ただ単に、昔の楽器を演奏して、昔の音楽を追求しているわけではない。
昔の人の思想であった、”小宇宙”に、大宇宙を調和させることに意味があるのだ。

そして、”便利さ”ゆえに、失ってしまってはいけない。
時間をかけて、何かをすること。
こころを込めて、向き合うこと。

私たちは、そろそろ自然にかえっていかなければならない。
時の流れに、自分を見失ってはいけない。
本当に良いものを見極めないといけない。

とはいえ、この選択肢の多い世の中、何が本物かを見極めるのは難しい。
プラスチックを減らしたくても、スーパーで買い物をすれば、ごみがでる。
でも、少しでも歩めたら。それは大きな進歩だと思う。





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